「バイオリンが弾けるようになりたい。」
カナダに来てから「バケットリスト」という言葉を知って、あなたのバケットリストには何があるの?なんて会話を、頻繁ではないけれど、何かの機会にしたことがあります。いわゆる、自分の人生でやりたいことリスト。
主人は高校卒業の時かな?に、50のリストを作って、それを今も大切にしているようです、この25年間で少しずつチェックが増えてきているようです。
15年くらい前、「のだめカンタービレ」にはまって、それまで自分はピアノを習ってきたけれど、オーケストラのパートに所属し、ピアノのように一人独奏でなくて、みんなで曲を作り上げていくということに憧れを感じて、素敵だなぁとクラッシックコンサートに行くようになりました。10年前に街の大学の合唱団に所属して、第九をオーケストラと一緒に歌うと知った時には、楽器ではなかったけれど、念願のオーケストラと一緒に曲を作り上げることができると感動したのを覚えているし、より興味を持ちました。
そんな私のバケットリストには、何年ごとに見直してみても、いつも叶わないと知っていても、「バイオリンが弾けるようになりたい。」と書いてあります。叶わないと知っているのは、バイオリンは小さいころからやっていないと弾けないイメージがある、今更無理だ、それに高級で手が届かない。主人にも冗談で何度か誕生日にバイオリンが欲しいなんて言ったことがあったけれど、本気さを感じないし、私はウクレレを欲しがって買ったけれど、ブームが過ぎてほったらかしと言う過去があるので、どうせそういう感じだろうと。でも、ピアノは運んでどこかで弾くことができないけれど、バイオリンならば運んで誰かに音楽を届けることができる、そういう憧れがありました。
大好きな友達が亡くなって、彼女のお葬式を見せてもらった時、教会でのお葬式が終わって、美しい薔薇の花がたくさんのせられた彼女の棺をご家族の皆さんで運んでいる時に、ハープで演奏された曲を聞いた時、涙でぐしょぐしょになりながら、なぜか自分が彼女のお墓の前でバイオリンでその曲を奏でている絵が頭に浮かびました。「今を楽しむのよ、自分の心が笑顔になることをしなさい。」と、彼女がよく言っていたのを思い出しました。
私の横で一緒に彼女を見送った主人に、「私、お墓にきれいなお花を届ける時に、この曲をバイオリンで弾いてあげたい。」と言いました。息ができないほど悲しくて、でも、それを絶対にしたいんだと思いました。
その週末、主人は町のグループのボランティアで大きな街に。1泊して仕事して帰ってきた主人は、「少し早めの誕生日プレゼントだよ。」と言って楽器屋さんで相談して、大人初心者用のバイオリンを購入してきてくれました。
主人と初めて出会った時から、私はイギリスに家族のように大切な人たちがいると言う話をしてきたので、主人はこのコロナの規制の中、思ったように会いに行かせられることができなかった、結局私たちは何もできなかった、そして泣いている私の横でやっぱりそばにいるしか何もできることはないと思って悲しい、バイオリンを弾く目標を持って進もうとするのならば応援したいと、言って、バイオリンを渡してくれました。
生まれて初めて触ったバイオリン、弓で弦をそっと触って、だんだん音が出てきた時、音が直接自分に振動で伝わって驚きました。ピアノをやっていたから楽譜が読めるけれど、ピアノはとりあえず押せば音はなるけれど、バイオリンは弓でなでても音がなかなか思うように出ない、これから時間をかけて練習して、曲が奏でられるようにしたいです。
ジュリにはバイオリンの絵の描いてあるきれいなカードをもらいました。カスタードプリンも焼いてくれました。主人の両親、伯母たちから手作りのカードがたくさん届きました。町の友達や職場の同僚たちからカードやギフトをもらったり、日本の家族や友人たちからメールやビデオコールをもらいました。ありがたい。頑張ろう。と思った誕生日でした。