Tuesday, August 06, 2024

Thank you.

 ご無沙汰しています。

ジュリの卒業式がもう1か月以上も前だなんて、毎日がものすごい速さで過ぎていて、カレンダーを見て驚いています。今日は雨も降って気温が上がらず、長袖を重ねて過ごして、秋がすぐそこだなぁと感じています。


卒業式から写真を2枚ほど。

午後第一部は、校長先生や町の方々の挨拶、成績優秀者の表彰、奨学金の授与など。生徒たちは学校のガウンを着て、卒業の帽子をかぶり入場し、後半に校長先生から一人一人の帽子についているタッセルをフリップしてもらい、表彰され、段に上がり最後に先生の合図とともに、映画で見たことがあるような、あの帽子を空(室内)に投げると言うのをして終わりました。

あんまりジュリの勉強のことを書いたことがなかったけれど、この12年間、彼女は勉強に本当に真摯に向き合い、努力して最優秀の地位をずっと守ってきました。母親が別の国の言葉を話す環境に生まれ、どうやって勉強をしていくのかなと見守ってきましたが、一人の人間として娘を尊敬します。どんなことがあっても学校が大好きで、苦手だと感じた教科にも一生懸命取り組んで諦めない姿は本当にすごいなぁと。

賞とか、順番とか、そういうことには興味がなくて、ただ、できるだけいろんなことを学んでみたい、学ぶのだったらしっかりと理解したい、と言う気持ちでやってきた彼女なので、あまり特別に喜んでいるようでもなかったけれど、首席に選ばれて、主人と一緒にスピーチを考え、卒業式で最後に卒業生仲間たち、そして後輩に向けてとてもリラックスした様子で普段の彼女らしいスピーチをしました。私はただただ、あんなに小さかったジュリがこんなにしっかりとした人間になって、ありがとう、と言う気持ちでいっぱいです。

夜の部は、皆、日本の結婚式の2次会できるような豪華なドレス、スーツを身に着け、エスコートの彼と共に入場しました。私は卒業式の少し前までこんなにも大きなイベントだと言うことを知らなかったので、小さな町の小さな卒業式だけれど、それでも文化の違いに驚きました。主人が「日本の成人式だと思えばなんとなくわかるかな。」と説明してくれて、なるほど、それでみんな高級なドレスを何か月も前から準備し、髪の毛も腕につけるお花も、あとエスコートとお花をコーディネートしたり、なるほどなるほど、と。

ジュリは最初から着物と袴を着たいと言っていて、日本に暮らす私の両親となんどか話をしながら好きな柄を選び、両親にプレゼントしてもらいました。髪の毛のアレンジメントが苦手でママがしてくれたらそれでいい、と言うので、何度か卒業式前に練習し、送ってもらった芍薬の造花を使って、ヘアクリップとジュリの彼のポケットに入れるブートニア(って言うんだっけ?)を作り、彼もわざわざスーツを仕立てて、ネクタイを6本も買ってジュリの着物に合うのを選びに来てくれたり(選ばなかったものは返却)、みんなに支えてもらって準備しました。


第1部と第2部の間は3時間くらいあって、その間に着物と袴を着せて、髪の毛をまとめて、送り出しました。カルガリーから主人の両親が来てくれて式に出席してくれました。卒業生一人につき確か10人くらい招待できるということだったけれど、日本の家族や主人の弟夫婦は都合がつかず不参加だったので、小さい頃から仲良くしてくれているお友達とそのお母さんや、ジュリの彼と彼のお母さんなどを招待しました。小さな町の学校だけれど、式の様子をライブ配信するなんて粋なことをしてくれて、日本の家族も主人の親戚の皆さんも見てくれました。

夜の部は、思い出のスライドを見たり、先生や保護者への感謝のスピーチなどを聞いたり、そして最後に少しダンスと言うことでした。町によってはお食事とか盛大なパーティーとか、いろいろ違うらしいけれど、ここはそんな感じでした。

多分、私とはまた全然違う思いでジュリを父親、そして高校の先生と言う立場から見てきた主人は朝からなぜか無口で元気がなくて、いろんな感情があるんだろうなぁと思っていました。ジュリがエスコートの彼とダンスをしていると、「さて、僕も踊ってくるかな。」と、突然立ち上がって、ジュリのところに行き、ゆらゆら踊り始めました。

主人は、前にも書いたと思うけれど、ものすごく、特に中、高校生になってから、ジュリのために一生懸命いつもそこにいてくれたと思います。ジュリの思春期の相談やクラスメートとの関わり方の相談も彼が受けていたし、スポーツができる子になってほしいと、水泳クラブのコーチになって、あちこち遠征に2人で出かけていったり、いいと思う機会があれば、ジュリを連れて行ってそういう機会に触れられるようにしてくれたり。本当にジュリの事を思って子育てをしてくれました。だから、2人が踊っている姿はなんだか良かったなぁ。。。

そんな2部の式も夜8時には終わり、それで終わり、と言いたいところ。でも、そのあとに学校とは完全に無関係の「安全な卒業パーティー」と言うものが有志の保護者の皆さんが企画してくれて、ジュリはパーティーとか行ったことないけれど、最後に行ってみたいと言うので、参加することになっていました。

アルバータ州は18歳からお酒が飲めるようになっていて、卒業生の7,8割は18歳。このパーティーは軽いアルコール飲料は許可、と言うことで、飲み物(缶のみ)をクーラーボックスに入れ、式の数日前に係の方の家に届け、しっかりと中身を確認してもらって、会場に運んでもらうというルールで、ジュリも彼もアルコールは飲んだことがないので、たくさんのコーラや炭酸飲料と、記念に2本、軽いものを入れ、提出していました。

持ち物はなし、携帯は持ってきたら没収、外なので厚着をして、1つのグループに一人保護者が付き添うというルールで、夜11時前に集合場所に集まり、バスに乗って移動して、山の中にあるキャンプファイヤーのある大きな大きな広場に着きました。主人は先生なので、どこであったのかも知りません。私も暗い中行ったから、バスに揺られて着いたら広場だったという感じでした。

音楽がガンガン流れていて、飲み物が欲しければ、クーラーボックスを管理している保護者のテーブルに行って、受け取ります。付き添いは、子供たちが無茶な飲み方をしたり、体調が悪くなったりしていないか確認し、自分の子が帰ると言ったらバスの手配をお願いして、連れてきたグループすべてを連れて帰るというシステムで、パーティー慣れしていないジュリと彼のことだから、ちょっと体験して、12時、遅くても1時には帰るだろうと私は思って見ていました。

ところが、みんなとっても楽しそうで、1時を過ぎても誰も帰る様子もなく、パーティーは朝6時までと言うことで、一緒に見ていた保護者の方々と、まさか6時までいることにはならないよねぇ。。。なんて、話しながら過ごしていました。

6月末、一番日が長い時、と言っても、夜には気温が随分と下がり、しかも少し雨も降ったので、スノーブーツを履いて、ジャケットと毛糸の帽子をかぶって見守ってました。

2時にバスが出るというのを聞いたジュリが私のところにきて、「2時にバスが出るけれど、楽しいからもう少し居てもいい?」と。「今日はあなたたちのための夜だから、好きなだけいていいよ。」と言うと、また楽しそうに友達たちと、火の周りで話をしたり、音楽を聴いたり。

そろそろさすがにすることもなくなって、持ってきた編み物を編み始めて少しすると、「ママ、次のバスで帰るよ。」と。オッケーオッケー、待ってましたと飛び上がって、朝3時発のバスに乗って、町に届けてもらいました。

町の駐車場からジュリと彼と3人で、もう明るくなり始めた空を見ながら、なんかさ、結婚式みたいに忙しいものなんだね、カナダの卒業式って。と、朝からバタバタ、衣装替えを3回もして、本当に忙しかった1日を振り返りました。長い一日でした。

ジュリは本当に楽しい1日だったようです。みんなのおかげです。

                   ☆☆☆


さて、6月に卒業した、と言うことは、9月から大学?と言うのが自然な流れだと思います。でも、私たちは随分と前から計画していたことがあって、ジュリは「ギャップイヤー(空きの1年)」というものをとります。大学などにまた行くのは2025年の9月になります。

随分と前から主人と、ジュリは同じ学年の中でも早生まれでまだ17歳、いきなり小さな町から都会の大学に行くのはどうだろうか。という話をしていました。主人はジュリが高校に入ってから、なるべくいろんな人と出会って、話を聞き、世の中にはどんな仕事があるのか、どんな風にその仕事に出会ったのか、ということを知ってもらいたいと、主人の両親に協力してもらって、いろんな人にジュリがあって、話を聞く機会を作ってきました。世界が広いということは、まぁ両親が国際結婚をしているから少しは理解していると思うけれど、それに気づき、数えきれないほどの可能性があるということを知ってほしいと。

主人は大学を卒業して、ワーキングホリデーでオーストラリアとニュージーランドでいろいろ旅をしたり働いたりしながら1年暮らし、いろんな人と出会い、いろんな体験をしてカナダに戻り、そこで知り合いの方に勧めてもらった日本の英会話学校での教師募集を見て、応募し、静岡にある学校で働くことになりました。

私は大学を卒業して、インターンシッププログラムと言うボランティア団体のプログラムに参加し、英国中部のダービーにある小学校の校長先生の家にホームステイしながら、約10か月間、小学校、あとからは高校などでボランティアをしつつ、日本の文化を紹介するクラスを持たせてもらうという生活をし、日本に戻って、そこから英語教室で幼児から中学3年生まで英語を教える仕事を8年かな?していました。英語力を維持したいという気持ちで通い始めた英会話学校でカナダから来たばかりの主人と出会いました。

なので、2人とも、あの、海外でのそれぞれの1年間があったから今があって、その1年で得た体験が人生に大きな影響を与えたという点では、すごく想いが似ていて、ジュリにもそういう体験をしてほしい、でも、私たちは大学を出てからしたからまだジュリには早い。それならば、私たちが一緒に行って、ジュリに見せてあげれたらどうだろうか、と、そう考えるようになりました。主人も私も旅行は大好きで、でも、大好きな英国に行くのもリタイアしてから、とか、行ってみたかったあそこに行くのもリタイアしてから、と、先送りにしていると、どんどんと年老いていく私たち、体力は持つかな、やってみたかったハイキングは60過ぎてできるだろうか、でも、何もかも一旦停止して、旅に出るというのは、かなりリスクもある、仕事も辞めなきゃならないし。。。

いろいろ悩んだけれど、自分の人生で一番若いのは今、今できることを今しよう、というのもこの計画を進める理由にもなって、数年前から、ジュリが卒業したら、この町での通常生活は一旦停止、外に出て、家族3人で世界を見てくる。というプランを立ててきました。

ものすごくどこも物価が高くて、家族3人、バックパックを背負った貧乏旅行です。でも、この3人、結構いいチームで、私はこの先にどんなことが待っていて、どんなことを一緒に感じて体験できるか、とても楽しみです。2021年に私は英国の大好きな友人を亡くしました。彼女の町にも行ってきます。主人とその昔静岡で同僚で英国で暮らしておられる友人家族にも会えそうです。もちろん、日本にも行きます。

これを機会に、2005年から19年間続けてきたこのブログを一旦終わりにしようと思います。

今まで、私たちのことを気にかけてブログを見てくださった皆さんに心から感謝します。本当に応援ありがとうございました。カナダに移住して初めてだらけの数年間は特にものすごく寂しくて、ブログを更新することが私の励みでした。ブログ見てるよって言ってもらえるの、とっても嬉しかったです。ジュリの成長をずっと応援してくださって、見守ってくださって、どうもありがとうございました。ジュリは大きくなってからママがブログをして成長を書いてくれていて良かったと言ってくれました。時々、振り返って見ることもあるそうです。ページは残しておこうと思います。

どうぞ皆さんお元気で。御身体を大切にしてください。

本当にありがとうございました。

Eriko

Tuesday, June 04, 2024

May June 2024

 「いるよ。」

カーテンを開けるのが今年も楽しみな季節になりました。ようやく朝もマイナスの気温にならないようになると同時に芝やタンポポやクローバーがぐんぐん伸び、新緑が景色に加わりました。

「今年も来るかな。」週末に今年初めての芝刈りをした主人に「裏庭は刈らなくていいよ、来るかもしれないから。とっておいてあげよう。」と伝えて1日。仕事のランチブレイクで家に戻った途端に雨が降ってきて、もう止んだかな?とカーテンをめくって外をのぞいた時、「あっ。」と嬉しい声が出ました。ママ鹿が子鹿のバンビを連れて今年もうちの庭に遊びに来ていました。


今年も生まれて間もない感じ。どうやったら前に歩けるのか、足を頭の上くらいまで上げてぎこちなく体を動かし進みます。きれいな茶色の柔らかそうな毛にたくさんの白い模様。あぁ、どうかこの子も元気に健康に山で大きくなりますようにと、もうそれからは気になって気になって仕方ありません、私、ほんと、おばあちゃんみたい、目を細めて鹿の親子を眺めるのが癒しです。ジュリも「今日も来てるね。」と、なんとなく気にしているようです。



また、随分と間が空いてしまいました。忙しくしています。ジュリの高校卒業が間近で、その直前にセンター試験のような州の試験の後半(前半は1月に)があります。卒業式の様子はかなり日本のと違うようなので、それはまた後日ブログに載せようと思います。



先月は世界中で話題になったオーロラ、日本でも北部で見えたようですが、私たちの町もオーロラに覆われました。今までカナダに越してから特にもう少し北の町にいた時は、薄緑や水色、白のようなオーロラは何度か見てきましたが、今回のはあまりにカラフルで怖くなったほどでした。デッキに立ち、空を眺めると自分の真上からこの町を覆うように360℃一面で光が踊って、自分たちのそそいでくるようにさえ見えました。白や水色はもちろん、赤、紫、ピンク、今まで見たことのない色に感動しました。その夜と次の日は図書館でもどこでも、みんなオーロラの話で盛り上がりました。


編み物も変わらずスティーブン・ウェスト氏のテストニットをしています。ブランケットと2枚のショールを最近は編み終えて、パターンが売り出されています。

Flying Foxtail Blanket by Stephen West

Rib Vault Shawl by Stephen West

Quirky Quintet Shawl by Stephen West

大人を対象に図書館で始めたかぎ針編みクラスも好評で、皆、基礎を得て、ブランケット、ディッシュクロス、手さげ、編みぐるみ、それぞれの作品を楽しそうに編んでいます。質問に答えたり、手伝ったり、毎週の2時間はすぐに終わってしまって、帰り道はいつも、私もかぎ針編みやりたいなー。と思いながら家に着くので、そんなことを重ねているうちに、私もひとつかぎ針編みでひざ掛け完成しました。77枚の花のグラニースクエアを編むのはとっても楽しかったけれど、毛糸の端の始末と四角を繋げるのが大変でした。アクリルの糸で編んだので、ガシガシ洗えるしドライヤーにも入れられるので、外で使うブランケットとして大活躍しそうです。

Orlala Square by P.S.I Crochet

また、卒業式後に書きます。短い夏がはじまるのでウキウキしています。日中窓を開けられるのが嬉しい、山に戻ってきた鳩の鳴き声を聞くと、新潟の祖父母の家を思い出します。

Tuesday, March 12, 2024

March 2024

書こう書こうと思って日々が過ぎ、2024年ももう3月中旬になっていました。木曜日は主人の47歳の誕生日です。

元気にしています。ジュリはこの6月に高校卒業なので、日本のセンター試験みたいなそういう大事な試験が1月にあったり、とても忙しくしていました。私も仕事が忙しい。労働時間は増えていないけれど、新しいプログラムが始まったり、イベントを担当したり、頭の中がとにかくいっぱいで、ブログまで手が届かない日々でした。

毎年恒例にしていた1年間で編んだもの、インスタグラムには載せていたけれど、こちらには載せていなかったので、随分と遅くなったけれど、2023に編んだもの、こちら。


縁があってスティーブン・ウエスト氏のテストニットチームに入れてもらって、テストニットどっぷりとはまった1年でした。他にも編んでみたいデザイナーさんの作品などもあるけれど、今年はテストニットを頑張るという目標をたててできるだけ参加してきたので、2枚のブランケットを含む11作品、テストしました。テストのチームにはいろんな国のニッターさんたちがいて、本当にこんな機会をもらえて幸せだと感じながら世に出る前の作品たちを感心しながら編んでいました。

他にもグッドラン・ジョンストンさんの作品も3作テストさせてもらって、年の初めころはまだ余裕があって他にも編めていたので、2023年合計はセーター6枚、カーディガン1枚、ショール5枚、カウル3枚、ブランケット2枚、ミトン3ペア、帽子5枚、靴下4ペアとクリスマスデコレーションの大きな靴下1枚。


今も4月初めが締め切りのテストをしていて、これでスティーブンのテスト20作になるので、ここで一旦休憩をしようかなと考えています。写真は最近パターンが販売されたセーター。Briornate Sweaterと言う名前です。一緒に写っている帽子もブランケットもテストで編んだものです。


図書館では、あみぐるみが流行っていて、中学生の女の子たちが編んでみたいと言ったのをきっかけに、編みぐるみクラスを作ってかぎ針編みを教えることになりました。と言っても、私は編み物はするけれど、かぎ針編みはほとんどしないし、あんまり好きでなかったので上手になりたいと思ったことがなくて、クラスを教える前に私が基本の確認やテクニークを学ばなくてはならず、最初は面倒くさいなぁと思っていました。でも、作品ができると何気にかわいいし、棒針編みに比べてものすごく早くできる。しかも、生徒たちがぐんぐんうまくなって、毎週欠かさず習いに来てくれて、小さな編みぐるみを完成させて嬉しそうにしているのを見ると、私も嬉しくて、家で時間があるときはテストを進めているか、かぎ針編みを練習しているかの日々です。



最近、英国のTOFTというお店が出しているかぎ針編みのパターンや作品に惚れて、そこの王冠、花、鳥などを作っていました。ここのお店を知ったことで、私のかぎ針編みへの印象が随分と変わって、はまりそうです。


2月末に慌ててジュリのお雛様を出しました。ジュリが出しました。17年間もジュリの成長を毎年見守ってくれているお雛様に話しかけていました。友達を呼んで着物を見てもらったりもしていました。こちらでも鬼滅の刃が流行っているので、着物はかっこいいのだそうです。「友達や先生に説明しようと思ってウィキピディアを読んだら、日本の家は娘が10歳くらいになるまで毎年お雛様を飾るって書いてあったけれど、ねぇ、私もう17だよ!!」って言ってました。なんでそんなことウィキピディアに書いてあったんだろう。。。お嫁に行くまで飾るんじゃなかったっけ?

そんな感じで、ジュリは学校、主人は仕事とボランティア、私は仕事とテストニット、そんな毎日です。みんなそれぞれ忙しく、顔を合わせる時間が少ししかない日もたくさんだけれど、夏に向けて頑張って日々生活していこうと思っています。卒業式のスライドのため、赤ちゃんや小さなころの写真を送るように学校から言われていて、昔の写真を眺めて、いつの間にか17歳になった娘の成長に驚いています、そして、はじめに主人が47歳になると書いたけれど、知り合って22年って、びっくりしちゃうね、と主人とも話しています。時間を大切に生活したいです。