Wednesday, September 29, 2021

Autumn


どんどん日が短くなっていくのを感じます。

9月のはじめは夜8時に図書館を閉めて帰る時は明るかったのに、もう薄暗い。

ここのところ強風が続いて、黄色くなった葉がどんどんと風に吹かれてなくなっていきます。葉っぱが落ちてしまう前に写真を撮らなきゃと、あわてて裏の山に出て写真を撮りました。最近、熊が町のあちこちで見られていて、冬眠前に食べれるだけベリーを食べているようです。なので、黒い動物がいないか、きょろきょろしながら撮った写真です。

朝はもう、マイナス2度でした。暖かい秋が続いてほしいです。

Monday, September 27, 2021

my blue bird sweaters


7月からゆっくりと編んでいたこのセーターが編み終わりました。

Caitlin Hunterさんの Talvinen という名前のパターン、彼女のパターンで編むのはこれが5作目、(どれもセーターで、Zweigを3枚、 Sunset Highwayを1枚、そしてこの Talvinen)これは首が詰まっているデザインでヨークが私の体には少し長かった感じだけれど、腕や胴の部分はちょうどぴったりで、この秋に着るのが楽しみです。メインの色はGlazed Pecan(砂糖が絡まってつやがかったピーカンナッツ)、これにどうしても合わせたいと思ったのが、編み物友達に去年の誕生日にもらったミントっぽい水色でした。


このセーターを編んでいる時に前回、前々回でも書いているように大好きな友達が亡くなったと連絡があり、あぁ、鳥を編んでいる時だ。。。と思いました。なぜなら、鳥の模様のセーターはもう一枚去年の4月に編んでいて、その時には彼女のご主人が亡くなった連絡が来た時だったから。あぁこの鳥と一緒に英国に行きたいと願っていました。ジョンのセーターと呼んで今もしょっちゅう家で着ています。(写真右)

友達と空や雲の話をよくしたのを覚えています。私が「イングランドの空は高くて広い。」といつも言いながら何枚も写真を撮るのを見て、青空を見上げると、あなたが言っていたことを思い出すと言っていました。


青い鳥が飛んでいるセーター2枚。不思議だなと思いました。大切にしたいです。

Saturday, September 18, 2021

my card/letter book

今日は久しぶりにお休みです。朝からやってみたいと思っていたことがあって、朝食後にさっそく取り掛かり、夕方完成しました。



カードと手紙をまとめた本です。この前3回のポストで書いたけれど、亡くなった彼女と私はカードと手紙の交換をずっとしていて、手紙はメールが便利になってからはメールに変わってしまったけれど、カードはそれからも誕生日とクリスマス、毎年送り合っていました。

そのカードと手紙を集めて、もう一度読み直したりしていたのだけれど、箱の中に戻してしまってしまうよりも、何か近くにいつでも取り出せるようにはできないかなと考えていた時に、大好きで見ているYouTube チャンネルに英国北部に暮らすケイトさんという方のThe Last Homely House というチャンネルがあって、その中で彼女がみんなから頂いた手作りのカードなどを収納する方法、というので本の作り方を教えてくれていたのを思い出して、私もそれを作ってみようと思いました。




固さがちょうどいいオートミールの空き箱、母のお友達から譲っていただいたリバティプリントの布、亡くなった友達も私も大好きなAnita Jeram さんの本、カッター、のり、刺しゅう糸、ミシン、いろんな紙、どれも手元にあって思い立ってすぐに取り組めて嬉しかったです。

ケイトさんのそのエピソードではカードだけのまとめ方を紹介していたけれど、彼女は本やジャーナル用のノートも作る人で、そっちのエピソードから、ポケットをミシンで縫って作ったりするのも教えてもらって、なので私の本はカードがはじめで、後半にいくつかポケットを付けたものを足して、手紙もすべて収納できるようにしました。

普段は雑で、思い付きで作ることが多いから、きちんとした作品にならない私だけれど、しっかりと時間をかけて丁寧に作るといいものができるんだなぁと感じました。思っていたよりもずっとずっといいものができて、とても嬉しいです。


測ったりしなかったスパインの部分も、ちょうどカードすべてと手紙がおさまる高さで、これはラッキーでした。ケイトさんはもう少しいいリネンみたいなひもを使ってカードを結んでいて、私は刺しゅう糸を使ったので、これから三つ編みにしようか、まとめてタッセルにしようか、そのままにしようか、考えます。

紙をミシンで縫うって、いままでにしたことあったかな。。。 とにかくこれは気持ちがいい。紙は、ずれたりしないし、ポケットを縫い付けるとかってすごく面白くて、もっとこういう本を作りたくなったので、私もジャーナル用のノート作ってみようかなぁ。。。と思っています。

Monday, September 13, 2021

these days..


メダルが届きました(写真左下)。8月中旬にヴァーチャルで英国縦断完走したメダルです。ずっとヴァーチャルで距離を加算していき、届くポストカードもEmailでだったけれど、メダルだけは本当のメダルがきました。今日は久々の休みで、スコーンを焼いて、紅茶を飲みながら、1084マイルを地図を見ながら振り返っていました。

スコーン、とってもおいしく焼けたので、22年前にスコーンの作り方を教えてくれた友人がきっと「良くできたわねー」とにっこり笑って空から見てくれていると思います。以前はクロテッドクリームをスーパーで扱っていてくれたんだけれど、主人と探したけれどもうおいていないようでした、なので、ラズベリージャムで。

ジュリは10年生になり、元気に通っています。ジュリは一つ下の学年にたくさんの友達がいるので、彼らが9年生になって高校に通うようなって嬉しそうです。

夏休みが終わる前に、家族で滝に歩きに行ってきたときの写真を忘れないうちに載せます。





写真はまだ木々が緑だけれど、もう随分と黄色くなりました。

「エリコ、早く早く、静かにデッキに出てきて。」と、家では泣いてばかりいた私にジュリと主人が小声で呼びに来てくれました。言われた通り、音を立てないようにデッキに出て、彼らの指さす方を見てみると、シーダーワックスウィングがデッキの脇にあるライラックの枝にとまっていました。まだ羽がふわふわしていて若い鳥です。かわいい。

あんまり私たちが見ていることが気にならないようで、私は随分とこの鳥を長い間横に座って眺めていました。

編み物は、去年に比べるとスピードが落ちているけれど、いつも手元にあって何かしら編んでいます。最近できたのは秋の色合いを意識して編んでみたいと思ったショール。


パターンはMalia MaeさんのKitiona Shawl です。ケーブル模様はケーブルの針をわざわざ使わなくても編めるので手を留めることなくリズミカルに進めた、色の組み合わせが楽しいショールでした。

もう一枚ショール完成しています。8月に編んだ、Inese Sang さんの”Migla”という名前のショール。今までいろんな色遊びをしてきたから、シンプルな一色は退屈なんじゃないかと思ったら、何気にこれがすごく使えるものになるんじゃないかと思うくらい、意外に気に入っています。

図書館で手編みのセーター(今は7分袖)を着て働くのが、私の心が幸せになることだと気づいてから、大切にとっておくのでなくて、どんどん着よう、身につけようと思うようになって、そうしています。ほんと、自分で編んだものを身に着けて生活するって、なんて心が嬉しくなることなんだろう。この秋もいろいろ新しいものを編んでいきたいです。


Thursday, September 09, 2021

私の大好きな人。

 明日は大好きな人のお葬式です。

寂しくて辛すぎるからブログに書くのはやめようと思って前回のシンプルなポストにしたけれど、大好きなひと、こと、ものについて書こうと始めたブログなのだから書きたいと思いました。本当に、私の大好きな人です。

大学を卒業した22歳の時に9か月間、日本の文化を海外で紹介するインターンシップと言うプログラムに参加しました。希望地は国と大きな都市か田舎か、そして希望する学校(小・中・高)だけが選べて、希望の国はもちろん学生の頃に3回好きで行ったことのあった英国、そしてもっと英語を勉強して友達を作りたいと思っていたので、日本人の少ない田舎の小学校を希望しました。

決まったのはダービーシャーのダービーに家がある、幼稚園から小学3年生までの学校の校長先生の家族のところに9か月ホームステイをさせてもらいながら、そのホストマザーの運営する学校に週5日通って文化の時間に日本文化を紹介したり、学校でボランティアをするということでした。

私の思い出箱の中に、その時に新しく知った言葉を書いては辞書で調べて日本語を横に書いていたノートがあります。こんな言葉も知らずにホームステイに行ったのかと今見ると唖然としてしまう程、中、高、大と英語を受けていたものの、(実際に使うような)英語力がなくて、ポケットサイズの辞書を常に片手に生活していた22歳の私に呆れを越して感心してしまうような感じです。そんな私はもちろん、旅行で行ったことがあった英国も、「生活」しかもホストファミリーとの生活はまた全然違うもので、よくわからずに、言われた通り過ごし、出されたものを食べ、生活していました。でも、2週間経ち、3週間経ち、なんだか、夕食は缶詰のビーンズを温めてトーストにのせたものか、缶詰のスープとトーストか、チーズとピクルスのサンドウィッチ、その3つの繰り返しだなと気付きます。しかも、そのホストマザーには7歳の息子がいて、学校から帰ると私は息子と遊ぶように言われて、夕食を温めて息子と食べて、寝る前には息子のベッドの横で本を読む、ホストマザーは一緒に暮らしていたボーイフレンドと夕方になるとパブに行って夕食をとっているようだ、日曜は家族が飼っているたくさんのモルモットの掃除を食器洗いとかの家事の手伝いとは別にするように言われて、でも特別やることもなかったし、息子と遊ぶもの楽しかったし、一人で出かけることもなかったのでここでの暮らしはそういうものなんだなと思って過ごしていました。

学校に隣接する幼稚園でボランティアをする週がまわってきて、幼稚園の教室に初めて行った時に、歌声のような優しい声で私を迎えてくれたのが彼女でした。休憩時間にカモミールのお茶を入れてくれて、うわぁ、おいしいと言ったら、「お家で飲んでね」と次の日に新品のカモミールのお茶を持ってきて渡してくれるような人でした。ある日、そんな休憩時に私がふと、「ねぇ、あなたのうちでも夕食って3種類なの?日本は夕食はいっぱいあるんだよ。」と言うと、「やっぱりそうだったのね。。そうだ、お誕生日が近いでしょう?お誕生日の前の日、仕事の後、うちに来て泊っていったらどうかしら、次の日は一緒に学校に登校しましょう。」と、家に誘ってくれました。

誕生日の前の日、彼女と学校の事務長さんが私がステイ先でどんなふうに暮らしているのかを聞いてくれました。結論を簡単に話すと、その校長先生は毎年日本人のあまり海外経験のない若い人だけを希望して、家政婦さん・ベビーシッターのように思っているということで、今までに滞在していた日本人の女の子たちはもの誰かにこれでいいの?こういうものなの?と発しなかったからそういう噂だった、でも楽しそうにしていたから噂なのかなとも思った。でもやっぱりそうなのね。。エリコは声に出したから、私たちがこれからはいつも、困ったことがあったらあなたのためにいるからね、と話してくれて、そうなんだ。。救われた。。と思った瞬間でした。

その夜は英国料理をご馳走するわーと張り切ってローストビーフを、エビのカクテルの前菜から作ってくれた彼女、ご主人もとっても優しくて、私のたどたどしい英語にも根気良く付き合って、真夜中まで日本の文化について、英語の発音について、音楽について、食べ物について、とにかくいろんなことを辞書と紙と身振り手振りで話しました。私がピアノを弾いていたことを知って、遊びに行ってはピアノを弾いて聞かせてと、旦那さんと一緒に聞いてくれました。彼女とは年こそ私の母よりも上だけれど誕生日が1日違いだということを知って嬉しくなったのを覚えています。

ここで寝てね、と通された寝室はローラ・アシュレイのリネンとカーテンでとても素敵なお部屋で、レンガの壁の窓からは薔薇の花が見えて、夢のようだと思いました。おうち自体が頭に描いていたイングランドのお家そのもののようでした。庭にはお花がいっぱい、家の中はどこを見回しても興味深いものがたくさん。古いものを愛し、使い続ける、彼女は古い家の椅子の布の張替えをしたり、刺しゅうをしたり洋裁をするのも得意でそういうものが家の中にあふれていました。

その日をきっかけに、魔法がかかったかのように、私の英国生活が随分と変わりました。給食のおばちゃんは彼女の友達で、「お家でいっぱい食べさせてもらえないもんね」とウィンクしながら給食を山盛りにしてくれるようになりました。「昨日これを焼いたのよ、スコーンって言うの。」と焼き菓子などを彼女も持ってきてそっと私に渡してくれたり、機会あるごとに、放課後一緒に町を歩きましょうとか、日曜日迎えに行くからナショナルトラストの建物を見に行きましょう。とか、誘ってくれました。彼女の家に泊まりに行かせてもらう時は、一緒に夕食とデザートを作る、これが私のリクエストで、レシピ本を見てスーパーで食材を選んで、キッチンで教えてもらいながら作る、今でもどれも最近のことのように色鮮やかに思い出し、そのたびに笑顔になります。

ホストマザーにも、何でもイエスでなくて思ったことを伝えるようになり、けんかも何度もしたけれど、自由時間や休暇の使い方など、随分と良くなりました。

ステイ先の部屋にはテレビがあって、夜はテレビを見ながら英語を勉強するのが楽しみでした。1999年の春にテレビで始まった「ネイキッドシェフ」という料理番組、そう、あのジェイミーの初めてのテレビ番組はかっこよくて斬新で小さなテレビに張り付きながら見て、見たものをスケッチブックに描く、わからなかった言葉はノートに書きだして次の日の放課後彼女に見せて、どんなにジェイミーがかっこよかったか、そしてその言葉の意味を教えてもらっていました、その時間がものすごく楽しかった。そして、もちろんそれからはジェイミーのレシピで夕食を作ろう、と言うことで、ハーブを入れた生パスタを作ったり、あぁ、本当に本当に楽しかった。

ボランティアを終えて英国から日本に戻ってからは、インターネットがまだ今のように使える時ではなくて、長い手紙を書いては送る、2週間後に届いては彼女が返事を、その繰り返しを何年もしました。誕生日にはカードとギフト、クリスマスにもカードとギフト、日本で仕事をしてはお金をためて毎年春か夏に彼女の家に遊びに行ってはジェイミーのレシピから夕食やデザートを作ったり、ピクニックに行ったり、ナショナルトラストの建物を訪れたり、ポッタリー、ガーデン、ラズベリー摘み、アンティークショッピング、彼女の娘さんのおうち、友人の羊の牧場、国立公園、いろんなところに連れて行ってくれました。彼女のお花の溢れる美しいお庭でゆっくりと朝食をとるのが幸せな時間でした。

飛行機がヒースローについて、ヒースローエクスプレスに飛び乗って、地下鉄でキングスクロスまで移動して、ダービーまでの片道汽車のチケットを買ったら彼女に到着時間を電話する、「駅で待っているからね。」という彼女の声、そして、ダービー駅に着いて改札を出て、「エリコー」と言いながら嬉しそうに立つ彼女に飛び込んでいく、何度も、何度も、遊びに行きました。今は2014年にジュリを連れて遊びに行った時を最後に英国には行けていなかったから、彼女が亡くなったことは頭でわかっていても多分、次にあの駅に立って、一人で立って、待っても、待っても、もう彼女は来ないことを本当にわかった時に、ものすごく辛いんだと思います。いつもいてくれたから。

2004年に主人と結婚して、主人を紹介することを兼ねて彼女と旦那さんに会いに行って、それから、私たちが日本からカナダに移住して、日本とカナダ以外の海外の行き来が経済的にも日程的にも難しくなって、やりとりは写真を添えたメール、電話、手紙、カード、ギフト、会えないけれど、それからもずっと彼女は私にとって何でも話せる大好きな人でした。大学卒業したばかりの私と出会って、それから日本での仕事生活、恋愛失恋、そういうのもずっと横で見ていて私の幸せを願ってくれました、主人と会って、結婚、それからジュリが生まれて移住、移住の孤独さ、海外生活の難しさ、そういうのも横でずっと見守って応援してきてくれました。ジュリの成長を自分の孫のように喜んで見ていてくれました。私の両親のこともいつも気にかけてくれていました。母がギフトを送ると、日本語でお礼がしたいと一生懸命日本語でカードを書いてくれるような人でした。私が図書館で働くことをものすごく喜んで誇りに思ってくれていました。彼女も子供や孫、ひ孫の話をたくさんシェアしてくれました。地図上の距離は遠かったけれど、心はいつも近くにありました。

4年前に原因の分からない呼吸器の病気に悩んでいることを知り、千羽鶴を折って送りました。彼女は折り紙が好きで、初めて会った時に折った鶴をずっと大事に飾っていてくれていました。病気はたくさんの医者に診てもらっても、いい治療がみつからず、ずっといろんな治療を試しながらその病気と闘い続けていました。私は会いに行きたかった。旦那さんが去年の4月に亡くなり、彼女が想像もできないほどつらいだろうそんな時にもコロナの規制で会いにも行けず、今回、8月の初めに娘さんから呼吸が厳しい状況だという連絡が来た時も、主人が今すぐ行けと言ってくれたけれど、コロナ規制のルールで会わせてもらえなさそうだと行けずに、会えないままに彼女は旅立ってしましました。

彼女は私がバーチャルで英国縦断をしていることを応援してくれていて、彼女の家の近くの辺りを過ぎた時はまるで私が実際に近くを通ったかのように喜んでくれていました。私がスコットランドの一番頂上に到着して1743キロ完走したのが8月の中旬、その報告とその日ハイキングに行った時に撮った家族写真をメールで送ったのに返事をしてくれたのが最後のメールになりました。

それから、娘さんから写真喜んでいたよ、ありがとう、と連絡が来て、きっとこれがお別れと感謝の気持ちを伝える最後の機会になると感じました。彼女にこれまでのかけがえのない友情への感謝、たくさんの思い出はすべて私の宝物となって私はこれからもずっと大切にし続けること、そして大好きだと言うことを伝えてもらえました。それから数日して娘さんと手を握りながら彼女が亡くなったと連絡が来ました。

本当に、本当に、私の45歳の人生の半分、23年間も一緒に笑って、たくさん話して、たくさん聞いて、寄り添って、いつも優しくて温かいハートで包み込んでくれた、大好きな人です。彼女に出会えて私の人生はとても豊かなものとなって、今があると、思います。本当に彼女に出会えて私は幸せだと思います。

お葬式にお花を送ろうと思っていたけれど、お花は家族のみということで、次に彼女と旦那さんのお墓を訪れる時にきれいなお花を自分で届けようと思います。

ジュリは3年生の時に初めて英国に行って彼女に会った時、初めてなのに、一瞬で仲良しになりました。一緒に話をしたこと、お庭のお花を見たこと、よく覚えていると言っています。主人も実際に会ったのは2回なのに、会うたびに家族のようによくしてもらいました。

きっと明日のお葬式は、彼女が教えたたくさんの教え子たち、彼女を慕ったたくさんのお友達、そして彼女の美しい家族の皆さんに囲まれて素晴らしいものとなると思います。

今日、娘さんから、「教会で日本人のピアノを演奏する方に頼めると聞いて、私がその方にお願いしたいと決めたの、同じ日本人と言うことでエリコの少しがママと一緒にいられる気がして。教会に入ってくる時にピアノを弾いてほしいと頼んだのよ。」と連絡が来ました。きっと彼女はすごく嬉しいと思う、私の下手なピアノでもいつも弾いてと言ってくれたから。そして、そんな心配りをこの大変つらい状況でもできる娘さんの優しさにも触れて本当にありがたく思いました。

私も彼女のような大きな愛と心を持った人間でありたいです。

本当にどうもありがとう。私の大好きな人へ。

Friday, September 03, 2021

私の大切な友達

 

9月になりました。
夏が終わって、夏と一緒に、私の大好きな人が天国へ旅立ちました。きっと、彼女の大好きなフューシャの花や藤の花に囲まれながら。

この23年間、遠いけれど一番近くで私の話を聞いてくれた、「大切」、そういうシンプルな言葉では表現できないほど、私にとって特別な友達。数年前に彼女が病気になり、私はもう一度必ず会いに行くと心に決めていたけれど、叶いませんでした。残念です。何十年も教師をしていた彼女は町のたくさんの人々から慕われ、愛されていました。娘さんから先月病気の状況の連絡が来て、亡くなる2週間前には彼女から最後のメールが届きました。たくさんの感謝と愛を伝えることができて、幸せだと思いました。

息が苦しいほど寂しいし、まだまだ時間がかかると思うけれど、彼女と出会えたことは人生の喜びです。メールのない頃に交換した100通近いカードや手紙、彼女を訪れた時の数えきれない思い出はどれも振り返ると笑顔に、そして心がとても温かくなります。彼女と出会って、英語をもっと話したいと思って勉強して、今の私につながっているんだと思います。

今は天国で去年先に旅立たれた旦那さんと会って穏やかな時間を過ごしていることを願って、私は空を見上げて前に進みます。

I love you Chris, our friendship is forever.