主人のチャレンジの日でした。
去年、コロナが広がりだして学校がオンラインに変わって、家から授業を発信していた頃、おそらくストレスから体調を壊し元気がなかった主人、検査などもたくさんして、それでも原因がみつからず、お医者さんから食生活を変えるように言われて(それまですごい量を食べていたので)、基本的に炭水化物を採らないケトジェニックダイエットをスタートしました。それから本当に体調が改善されてきて、体重も減り、夜もよく寝られるようになって、家族でする週末のハイキングやウォーキングも私たちのペースについて来られるようになり、体調がいい→痩せる→体が軽い→着られなかった服が着られるし、運動もできる→このまま続ければもっと運動ができるようになってもっと痩せて動きやすくなる、といい風に進み、春あたり、私たちがいつものように歩きに行こうと誘うと、「ちょっと走ってみようと思うから。」と、トレイルを走るというよりは少し早歩きで進むようになり、それができる距離が日々伸びることに喜びを感じ、毎日、少しずつ一人で夕方トレイルを走りに行くようになりました。
比較的フラットなトレイルを走っているのかと思ったら、ある日は「今日は山の途中まで走って折り返して帰ってきた」と、へとへとになりながらもなんとも充実したような顔をして話をしていました。この町に越してから今まで、夏がきて町の大きなウルトラマラソンのイベント「デスレース」が行われるのを見てレーサーたちを応援するたびに、影響されやすい主人は来年は参加しようかなぁと冗談で話していたのだけれど、ある日、とうとう、「デスレースと同時に行われるトレイルフルマラソン(ニアリーデスレース「あと少しで死のレース」という名前のマラソン)に参加してみることにした。」と。
彼は、何にでもはまると極端にはまって、過去にはダイビングはインストラクターの資格を取るまでやったし、トライアスロンも大会に出るまでいきなりやったり、ウェイトリフティングもジムに通い詰めていくつかの大会にでるまでやって、と、そういう性格で、今回はトレイルランにはまっています。この3か月でいつの間にかとてもファンシーなランナー特別の機能のある靴下、ベストのような軽いバックパック、耳につけるのでなく耳の横の骨に響いて音楽が聴けるとかいうヘッドフォン、適したシャツやパンツ、などなど、などなど、あっという間に揃えていて、気が付けばそれなりに走れる人になっていました。
それでも、まさかマラソンを。。というのは横で見ている私の中にはあって、特に去年あんなに元気がなかったから信じられないくらいの変化が信じられなくて(変な日本語だ)、まさかねぇ。。と思っていたけれど、先月に入ってからは、私が仕事でない時間に「今日は家からここまで走るからこの時間に迎えに来てほしい」「今日はここから山を2つ登って下りてくるからスタート地点におろしてほしい」と、リクエストをするようになり、町からハイウェイを少し走って迎えに行ったり、おろしたり。時間になっても帰ってこなかったら警察に捜査してもらおうか、と心配する私を気にすることもなく淡々と走って本当に山を2つ通って帰ってきたときには、本気なんだと感じるようになりました。
昨日がそのフルマラソンの当日でした。
一番心配していたのは気温で、主人は痩せた、と言えどものすごく体が大きくて、体重もあるので熱に弱い、予報では33℃まで上がるとなっていて、水をどうやって多く運ぼうかを何度も計算しながら考えているようでした。スタートの8時はまだ気温が15℃くらいで、元気に家を出発し開会式の会場へ、ジュリと私は図書館の前の歩道から山に向かって走り出した選手たちを応援しました。コロナ明けということもあって、海外から来ている選手はほぼいなくて、カナダ国内、多分例年に比べると随分と参加人数が少なかったと思います。それでも、マラソンには知り合いや図書館の利用者さんたちがでていたり、フルマラソンには毎年日の丸を持って応援させてもらう日本人の選手、そして今年は私が1年英語を習いに通った先生も、主人の元同僚も挑戦していて、ジュリとベルを鳴らしながら応援しました。
主人はスタートの時点からゆっくりペースで、グループの後半にいましたが、ワクワクしているような顔つきで走りすぎていきました。私は仕事があったので、あとは時々中継ポイントを予定通り通ったかなとネットで確認するのみ、お昼を過ぎた頃には通過すると聞いていたところを1時間遅れて通ったと知って、やっぱり暑いのかな、山火事の煙もきているし、きついのかな、気になるけれど、山の中を走るレースなので、どんな様子なのかもわからず。
出発して4.5時間すると速いマラソンの選手たちが町のゴールに戻ってきていました。主人はものすごく調子が良くて順調にいけば4時20分にはゴールできると話していて、3時に仕事が終わったら電話するように言っていたので、仕事から家に戻ってジュリと3時過ぎに電話をすると、ものすごく疲れた声で「今何時だ、3時?もう間に合わないかもしれない。まだ2つ目の山に向かっているところだ。」と言って切れました。マラソンのカットオフの時間は5時半で、それまでにゴールしないと終われなかったことになります。時間内に走り切れなくても、どんなに時間がかかっても山からゆっくりと下りてくるだろうということで、ジュリと山から下りてくる道の下のところで応援することに。
何人も通り過ぎる選手たちを応援して、5時半を過ぎても主人が降りてくる様子はなく、しかももう選手もほとんど完走したか棄権したかで人も少なく、ジュリは「伴奏してあげたらいいから、これからこのトレイルを逆に登ろう」と言います。そうだね、どこかで疲れてゆっくり歩いているだろうしね、と行こうとした時に携帯が鳴って、出てみると、主人でした。
「2つ目の山のてっぺんで棄権した。暑さでもう進められなかった。車でおろしてもらって家に帰ってきた。」と。
そうか、そうだったか、よくやった。急いでジュリと家に戻りました。
完走できなかったけれど、自分のできるベストを出し切って、2つの山に挑んだ主人、ハッピーだと言っていました。2周りも痩せて帰ってきたように見えましたが、すがすがしい顔をしていました。
実際に参加してみて、マラソンですら大変で、125キロをソロで走る人たちがいる、そのすごさを改めて感じたそうです。暑くて眩暈でくらくらして、小さな子供の歩幅くらいでしか進めないところが何か所かあって、何度かもっと早めにもうあきらめようと思ったそうです。そんな時に、前日にジュリと私で応援を主人の携帯に吹き込んでおいて、それをアラームとして流すようにセッティングしていたのだけれど、それが聞こえてきて、もう少し頑張ってあの山の頂上までと進めたそうです。
この小さな町がアスリートたちでいっぱいになり、ポジティブな雰囲気になるこのイベントがすごく楽しかったようです、きっと疲れてくたくただろうと思ったけれど、家に戻って2時間寝て、サインアップしていたボランティアに行くんだと言って、夜11時から朝4時までコースで通る選手たちを見守ってきたようでした。
彼にとってものすごくいい経験だったと思っています。それを横で見ていたジュリにとっても、仕事とはまた別の頑張る姿を見せられて良かったと思います。来年は完走するんだともう張り切っているので、また家族で応援、サポートしようと思います。
大きなイベントが終わって、今日から8月。夏休みもあと1か月です。