Sunday, August 02, 2015

Canadian Death Race & Kids race

この2日間で家族3人さらに日焼けしました。
今年も、この大きな週末がやってきました。
カナディアン・デスレース。
町とその周りの3つの山々を含めた合計125キロを走るウルトラマラソン大会です。
(この町に越してきて、2013年に初めて応援に行った時のようすはこちら。)

去年は英国旅行をしていたので見逃してしまいましたが、今年はまた3人で応援してきました。
スタートは土曜日の朝8時。今年の参加者はソロ(一人で125キロ)が265人、ティーム(5区画を2人から5人で走る)は158ティーム。大勢のレーサーたちがスタートしました。

スタート前。あんまりいい写真を撮れませんでした。

今回、2013年の応援の時と大きく違ったのは、名前を呼んで応援することができるレーサーさんたちがいたこと。2013年のレースの後のブログにも書いてあるけれど、エドモントンに暮らす日本人レーサーのHiroさんが話しかけに来てくれました。彼はいくつものウルトラマラソンをこなす地元でとても有名なレーサーさんです。その時からメールで交流をさせていただいて、今回、Hiroさんを応援するのを家族で楽しみにしていました。

さらに、私が学校のお手伝いで知り合った、孫がいるとは思えない若さとパワーに溢れるかっこよすぎる女性、彼女も季節関係なくいろんなレースを楽しそうにこなしているすごい人。そして、ティームの区間メンバーとして主人の生徒数名や町のドクターたち、学校の関係者などが走っていて、前回の応援の時よりさらに応援に熱が入りました。

日本で買ってきた日の丸を振ってスタートを見送ります。大勢のレーサーと観客の中で、Hiroさんが見つけられない。。。と、きょろきょろしていると、なんとHiroさんの方からコース脇の私たちの方に近づいてきてくださって、ハイファイブ!
過酷なレースに向かってスタートするレーサーのみなさんが本当に眩しくて、感動しまくりました。

家に戻って朝食をとって、第2区スタート地点に応援に行こうということになり、町から19キロ先のステーションまで車で行きました。リレーで交代する人たちはここで次のレーサーが待っているし、ソロでそのままレースを続ける場合も、食べ物を採ったり、何か交換するもの(靴やシャツなど)があったらそうすることができます。

ステーションは線路の上にあって、そこからまた山の中にコースは続きます。
しかも第2区は厳しいと言われる2つの山越え、距離は27キロ。後半には滑り台のような急斜面を駆け下りて来なくてはなりません。堂々と走り続けるレーサーの方々、皆さんとてもたくましくて、どのレーサーも掌がピリピリするほど大きな拍手で送りました。ここでもHiroさんや知り合いの女性とハイファイブ!

1区では、レースの先頭と後ろと、何時間もの大きな差はないけれど、この2区から差が出てきます。レースが続く夜の間、山の中で長時間の応援はできないと思ったので、3区が始まる町の中心市(スタート地点)で応援をして家に戻ることにしました。

雨や雷もなく、いいお天気でした。

どのレーサーのことも応援したくて、12時にコース脇に座り、夕方5時まで応援し続けました。一番速いレーサー(ティーム)は12時40分台に到着、そして次のレーサーに交代、そこから中継地点を締め切ってしまう(締め切り時間に間に合わないとレースを続けることができないので「死のレース」と言う名前なのも)5時半まで(それ以降も)レーサーたちが走り過ぎていきます。

午後3時、Hiroさんがやってきました。日の丸を振って立ち上がって大声で応援です。「ありがとう!ありがとう!」と言って、ハイファイブしてくれました。

急な斜面を滑るように下りてきたのがうかがわれる土にまみれた足やお尻、それでもみんな中継点に入って来る時は本当に輝かしい顔です。区間を走り遂げるお母さんに伴走する子供たちとか、旦那様を応援する奥さん、みんなお揃いのシャツを着て大声で応援する大きなティーム、みんなそれぞれにドラマがあります。人間ってすごいって思います。若いレーサー、応援が聞こえると笑顔を見せて頑張る女性たち、86歳!で参加されている「レジェンド(伝説)」との愛称を持つ男性、兄弟・親子で参加されているレーサーたち、中継所は拍手と歓声で盛り上がりました。

第3区は19キロ、次の中継点を夜7時までに通らないとレースは強制終了されてしまいます。
第4区は38キロ、3つ目の山越えがあります。一番ハードな区間だと言われているようです。
そして最後の第5区は22キロ、途中に川があり、ボートに乗って渡ります。ボートは朝6時が最終便。そして、スタート地点に戻ってくる、合計125キロ、5000メーター以上の高低差のあるレースです。

主人とジュリは夜10時近くに1位で入ってくるレーサーのゴールを見に行きました。今年、ソロでは史上初、女性レーサーが1位だったそう。一人で125キロを13時間53分で!

今朝もいいお天気でした。

朝、去年とおととしのレース結果から予想した時間にHiroさんのゴールを見に行こうと、ゴール地点に行ってみると、もうずいぶん前にゴールされたとのこと。去年よりも1時間半以上早いゴール、すばらしいです!Hiroさん、今年も完走おめでとうございます!そして、お疲れ様でした!!!
これからもウルトラトレイルマウント富士を含むいくつものレースに参加されるようです、これからも応援してます!

ソロ(一人で125キロ)は265人中119人が時間内にゴールに戻ることができたそうです。ティームは158ティーム中141ティーム。早い選手は昨日の夜11時頃にはゴールしていたけれど、ゴールが閉まってしまう今朝8時までの24時間、夜通し走り続けているレーサーたちが山の中にたくさんいると考えるだけで昨日の夜はワクワクしてました。
惜しくもゴールに届かなかった知り合いと話をしましたが、私はなによりなにより、トレーニングを続け、このレースに取り組んだことがすごいと思うから、必死で走っていたレーサーのみなさんが素晴らしい、そう伝えました。想像がつかないくらいの相当な努力をしないとできることではありません。

                  ☆☆☆

さて、2年前のブログも大人のデスレースの次の日にキッズレースがあったことを書きました。こちら
今年ももちろんありました。そして、日本に行く数日前にHiroさんとメールをやり取りした時に「娘さんは今年も走りますか?」と聞かれ、初めてキッズレースのことを思い出した私たち。ジュリに」キッズレース、今年も走ってみたい?」と聞くと、「うん、私走るよ。」と。
慌ててエントリーしました。

レースは今日。家に旅行から戻ってきたのが29日。
30日にコースを歩き、31日に軽く走れるところは走って、本番に臨むという、かなり甘い私たちでした。次回もやる気満々のようなので、次回こそは少しトレーニングして準備したいと思います。

金曜日練習をした時に、思っていたよりもずっと坂がきつくて、足元はでこぼこ山道で、「もうやだ、メダルなんていらない。」と、涙を浮かべたジュリでしたが、Hiroさんや知り合いの方々が走っている様子を昨日間近で見て、私も頑張ろう!と思ったようでした。

日本帰省している間にずっと会いたがっていた親友も応援に来てくれて、元気にスタート地点へ。
キッズレースの参加者は216人、年齢は15歳まで(3歳の子も参加してました!)。距離は山の中のでこぼこ道を含む5キロです。

さぁ、レースが始まる。

前回は、主人が歩道の部分を伴走、私が坂の入り口で交代して林の中の道を伴走してゴール地点まで行ったけれど、今回はジュリに一人で坂まで頑張ってもらって、そこから私が伴走しました。

日本ほどの熱さではないのだけれど、ここは日差しがとても強いので、暑さがきつかったです。地元の人たちがスプリンクラーで水をまいてくれていて、すごく助かりました。


写真の奥の方が坂の下、そこから登りです。
この時点ではまだ坂の真ん中。急なので歩くのが精いっぱい。
「もう走れない。マミィ、もっとスピード落として。」「のどが渇いた、もう歩くのが精いっぱい。」そんなジュリを励まし励まし進みました。なので、写真を撮る暇もなし。暑さと坂がきつくて、ゆっくり歩きたがるジュリだったけれど、歩道のコースに戻ったら、たっくさんの人たちが応援してくれていて、最後の最後に力を振り絞って走りました。

結果は2年前から2分早い、56分17秒でした。
メダルをもらって、親友からハグ、そしてゴールのところに来てくださったHiroさんから褒めてもらいました。大好きなラムネももらいました!出発前に握手をしてもらって、Hiroさんパワーをもらったジュリ、みんなの応援で頑張れました。みなさん、ありがとう。
じぃじとばぁばに買ってもらった「瞬足」スニーカーのおかげもあったかな。

でも、練習もしてないのに1時間を切ったから、よくやった、と思う半面、もうちょっと文句を言いながら歩くのではなくて、食いしばって走れたところがあったのにな。。。と思ったので、大いに改善の余地あり。来年は練習をして頑張ってもらいたいです。

小さな子供たちも大きな子供たちも、そして大人も、ひたむきに走る姿は本当に感動的だし希望だと思います。
今年もいいレースがいっぱい見れて良かった。人間の素晴らしいところをいっぱい見た週末でした。


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